決意するまで
その6
突然保育園に預けられてしまって、2歳の娘はとまどったようでした。
でも、かまっているわけにはいきません。
心の中で娘に「ごめんね、こんなつもりじゃなかったのに」と言いながら、
朝娘を保育園に預け、夕方6時ぎりぎりに迎えに行き、
その間フルタイムで働く日々が始まりました。
小学5年生の息子が、急に不在がちになった私に
文句も言わないでくれたのは救いでした。
夫だけが何も変わりませんでした。
だいぶたってから地元の音響会社で働くことになったものの、
相変わらず安い給料にただ甘んじているばかり。
そのうち夫はまたその会社も辞めてしまい、
家に居てもろくに家事もしない夫の世話も含め、
私は働き、やるべきことは増える一方でした。
そして体力的にも精神的にも限界だと思える時がやってきました。
人よりちょっと楽天的な性格のおかげで、そんな時期まで耐えられたのでしょうか。
さすがに私も限界を感じ、最終手段を考えようとしていたとき、
夫は少し離れた土地で仕事を見つけ、一人暮らしを始めました。
しばらくは、ただ呆然としていた私。
でも少なくとも、夫と同じ屋根の下に居ること自体がストレスになりかけていたのに、
そのストレスの原因が居なくなったのですから、
自分にとってはプラスと考えることにしました!
そして夫を当てにしないで子供を育てていく術を探し始めたのです。
物騒なご時勢、子供を長時間一人で留守番させるような仕事は避けたかった。
子供の話も聞けないくらい、自分が疲れてしまうような仕事も避けたかった。
子供が進路を決めるにあたって、
お金がないからさせてやれないという事態は避けたかった。
ほんとにあれこれ考えてみました。
いくつか短期の仕事もしてみました。
そしてたどり着いたのが、ネットビジネスだったのです。
去年の10月のことでした。
その5
転職にあたって、どんな仕事でも厭わないといった言葉とは裏腹に、
あれはいやだ、これはちょっと・・・・と夫がつぶやく日々が続きました。
そしてやっと選んだのは、
転居を予定していた土地とは全然違う、まったく縁のなかった土地の、
コンピューター・ソフトの会社のミキサーという職でした。
結局ほかの職業を選ぶ勇気はなかったらしく、
ミキサーという職種だけで、選んだようなものでした。
考えてもみなかった土地への転居は、憂鬱でした。
でも働いてもらわないことには困ります。
仕事を始めてくれれば、また何とかなるだろうと、
内心しぶしぶながら引越しをし、
夫は転職した会社でサラリーマン生活を始めました。
それまでが、会社に所属していたとはいえ、
仕事の形態も服装もフリーで、時間も休日も不規則だった人が、
スーツを着て毎日同じ時刻に家を出て、だいたい決まった時刻に帰ってきます。
最初は面白がっていましたが、やがて・・・・・
飽きてきたような気配。
そうこうするうちに、「どうもこの会社、ヤバそうだ」と言い出し、
その言葉通り、
転職してわずか半年後に、その会社は倒産してしまいました。
会社が危ないと感じても何もせず、
倒産してしまっても、次の仕事を探す気配もない夫。
息子は小学2年生、娘は2歳、
私は途方にくれてしまいました。
その4
給料の支払いが滞りがちになっても、何も手を打とうとしない夫。
急には子供を預けて仕事に出る術もなく、生活費に困った私は、
子供が成長したあとの自分の、夢実現の資金にととっておいた
なけなしのお金を取り崩すようになっていました。
しばらくそういう状態が続いたあと、
仕事の現状への愚痴がひんぱんになっていた夫が口にしたのは、
実家に近い土地への転居と転職。
もっといい”音”を作りたいといっていた夢はどこへ行ったのか、
悲観的なことばかり言うようになっていく夫を見ていて、
いつしか私も、
「もうこの辺で見切りをつけて転職した方がいいかもしれない」
と思うようになっていました。
でもコンサートのミキサーという特殊な仕事をしてきた人間で、
他の仕事の経験がなく、40歳直前という年齢では、
転職先を探すのは至難の業でした。
その3
海に近い街に引越し、上の子が5歳になった頃
兄弟がいた方が良いのでは。。。という話になり、
二人目の出産を決意。
自分の人生で、もう2度とすることのない経験だと思い、
自然分娩の中でも、特に興味のあった
「水中出産」という産み方を選びました。
自分の体から赤ちゃんが生まれでてくる神秘さを実感できたこの経験は、
ほんとに貴重なものでした。
その出産にも立ち会った夫でしたが、
子供と過ごす時間を大切にはするのですが、
子供の生活を守る責任感というものは、
その頃から次第に薄れてきたような気がします。
そして二人目が2歳に近づいた頃、
会社からの給料が滞るようになってきたのです。
その2
自分には子育てなんて向いてない。。。と思っていた私でしたが、
子供を生むことを決めたら、とことん育児を楽しむことにしました。
食べ物や環境のことも気になるようになって、
ストイックになり過ぎない、ナチュラルライフへ。
↑
(神経質とはほど遠い性格なので。。。。)
料理が好きでしたし、食が人格に与える影響は大きいと思っていたので、
ご飯やおやつを作ることも、楽しいものでした。
親子3人で、公園だ、海だ、山だ、キャンプだ、と
アウトドアライフも満喫。
もちろんその頃は、夫も仕事には充実感を覚えていたようです。
都会に近い町から、もっと自然に触れ合える所へと、
海に近い町に越したのもこの頃です。
その1
20代の終わりごろ結婚した私は、
コンサートの音響技術を仕事とする夫と、
それなりに幸せな毎日を過ごしていました。
仕事柄夫は、コンサートツアーにでてしまうと、
1週間から10日家を空けては2,3日戻ってということを、
2ヶ月から3ヶ月の間繰り返します。
ツアーがない時期は、
スタジオでのリハーサルや、打ち合わせといった仕事になります。
朝一番の飛行機や新幹線に乗らなければならなかったり、
最終便で帰ってきたり、
リハーサルは夜中を過ぎても続きます。
時間的には本当に不規則でした。
結婚して当然のごとく、
夫の不規則な時間割に生活を合わせるようになったので、
家事をする時間帯も、日によってホントにまちまち。
仕事を辞めて結婚したのを機に、しばらく自分の時間がほしかった私は、
初めて住んだ町で、外出しては新しい発見をしたり、
家に居て、料理や暮らしを楽しむ工夫に没頭したり、
夫がいない時間もフルに楽しんでいました。
そして30歳を少し過ぎてから、
ひとり目の子供を出産したのでした。